駒沢について

駒沢の由来について(ウィキペディアより)

地理

昭和36年(1961年)国道246号線 玉電駒沢駅

昭和36年(1961年)国道246号線 玉電駒沢駅

東急田園都市線駒沢大学駅がある(所在地は上馬)。駒澤大学駒沢オリンピック公園有名。深沢東が丘弦巻上馬新町と隣接する。

歴史

○地名の由来

この地名は1889年明治22年)に町村制施行に伴い荏原郡上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町、深沢村の6村が合併し、駒沢村となった際に馬(=駒)と野沢・深沢の沢を合わせて名付けられた合成地名である。

○沿革

  • 1889年明治22年)に町村制施行に伴い荏原郡上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、世田ヶ谷新町、深沢村の6村が合併し、駒沢村となった。
  • 1925年(大正14年)10月、駒沢村が町制を施行し、駒沢町となった。
  • 1932年昭和7年)東京市世田谷区成立時に「駒沢」という町名はいったん消え、旧村名の上馬町・下馬町・野沢町・三軒茶屋町・深沢町・新町・弦巻町が新区の町名となった。
  • 1967年(昭和42年)、住居表示の実施に伴う町区域の変更を行い、旧上馬町1~3丁目および弦巻町1丁目の各一部から2~3丁目、旧新町1丁目から3~4丁目、旧深沢町1~2丁目の一部から1・5丁目を統合し町名として復活した。

 

○駒沢オリンピック公園について

駒沢オリンピック公園 (昭和39年)

駒沢オリンピック公園
(昭和39年)

駒沢オリンピック公園(こまざわオリンピックこうえん)は、東京都世田谷区および目黒区にある運動公園。公益財団法人東京都スポーツ文化事業団が指定管理者として管理・運営を行っている。

所在地は世田谷区駒沢公園、目黒区東が丘二丁目・八雲五丁目。公園内には東京都とその外郭団体が管理する複数の運動施設があり、これら施設群は駒沢オリンピック公園総合運動場(-そうごううんどうじょう)と呼ばれる。公園南側の深沢ハウスと隣接。最寄駅は東急田園都市線駒沢大学駅

元々は東京ゴルフ倶楽部というゴルフコースであり、昭和天皇イギリス王太子エドワードと共にプレーしたところでもあった。1940年に行われるはずだった東京オリンピックのメイン会場になったが、中止となった。

1953年プロ野球東急(東映)フライヤーズの本拠地として、東京急行電鉄などが建設した駒澤野球場として開設されたが、1964年東京オリンピックの開催に伴うスポーツ公園の整備(当地は第2会場としてサッカーバレーボールなどを開いた)を行うため東京都に用地を返還し1962年から工事に取り掛かり、1964年に完成した。金メダルをとった女子バレーボールをはじめ、レスリング・ホッケー・サッカー等の競技で熱戦がくりひろげられました。周辺には、東京オリンピックの際、バレーボールの練習場となった駒澤大学講堂兼体育館(6号館)や東京都選定歴史的建造物に選定されている駒澤大学耕雲館禅文化歴史博物館)がある。

41ha という広い公園内には全長3.2km のサイクリングコースや幼児向けの自転車の遊び場もあります。
日比谷公園の約3倍の広さをもつ広大な敷地には、陸上競技場、野球場、プール、テニスコートと各種スポーツ施設がそろっているが、コンクリート建造物の無機質さをとり払うために、大刈込みと呼ばれる起伏に富んだ植栽法で草木が植えられているその数は121種7500本もの樹木が茂っているそうです。

公園の1日は、朝早くからジョギング・散歩・ラジオ体操 等の人々で始まり昼間は若い人達のリクレーションの場として、多くの人達に利用されています。特に休日は沢山の若者や華族づれでにぎわっています緑豊かな公園は、周辺住民や駒澤大学日本体育大学の学生たちの憩いの場となっています。

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2014年2月27日